Mamiko SUDA
須田真美子先生、ローマでのリサイタルで大喝采!(2000年6月6日 毎日新聞)
高校入試前からついている須田真美子先生が、
今回、すさまじい日程のなか、ローマでリサイタルを開催、大成功を収めた。
下の記事にもあるように、先生はまずパリに立ち寄りましたが、
なつかしいお友達との再会(先生は以前パリに留学していらした)などで毎晩予定がぎっしり。
でもこのパリのあとはオランダへ移動して、公開レッスンや国際コンクールの審査員を務めることになっており、
とてもご自分のリサイタルに向けて練習する時間がとれない・・・。
ということでパリでは日が出てる間はずっとさらっていらっしゃいました。
そんなお忙しいなか、私を気遣ってお電話してくださったり、
お知り合いの先生に、私のレッスンをしてくださるよう交渉してくださったり、
ピアニストとしてももちろんのこと、ひとりの人間としても
本当に心のあたたかい、素敵な方なのです・・・。
そんな先生が、ローマでこんなにすばらしいリサイタルをおこなったと聞いて、
私も自分のことのように嬉しくなってしまいました。
***
イタリア・ローマのサンピエトロ大聖堂わきにあるギオーネ劇場での
日本人ピアニストによるソロのリサイタルは、内田光子さん以来2人目。
先生も「はじめてスタンディング・オベーションなるものを体験しました」とお喜びだったそうです。
***
このリサイタル成功のあと、
先生はホテルのロビーで30キロのスーツケースを動かすのにタイミングを逃し、
足をすべらせて転んだ拍子に大理石の彫刻の角におでこをぶつけて大出血・・・!
すぐに救急車で 病院に運ばれたそうな・・・。
しかし3針縫って、あとは勝手に帰れと言われ、どこの病院だかもわからないのでとっても困って、
ふと見上げたらサンピエトロ大聖堂がはるか向こうに見えたので、
おでこに大きな絆創膏を貼ったまま、テクテク40分歩いてホテルまで戻ったのだそうです。
あぁ、、、なんということでしょう・・・。人生、楽あれば苦あり・・・・。
=Program=
(昨年11月に東京オペラシティーで行われたリサイタルと同じプログラムだとうかがったので、たぶんこれで合っていると思われます・・・) |
*須田真美子プロフィール* 1962年第16回全日本学生音楽コンクール小学生の部全国第1位。1967年第36回日本音楽コンクール第2位。1969年桐朋学園高校を首席卒業。音楽賞受賞。1970年フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院に入学。1972年同音学院を首席卒業。ロジェ・デューカス特別賞受賞。1973年ハエン国際ピアノコンクール第3位。1974年第19回海外派遣コンクール特別表彰受賞。1975年虎ノ門ホールにてデビュー・リサイタル。 1977年ウィッグモア・ホール(ロンドン)にてデビュー・リサイタル。1980年モーツァルト国際音楽コンクール(ロンドン)ピアノ部門第1位。クィーン・エリザベス・ホールにてロンドン・モーツァルト・プレイヤーズと共演及びソロ・リサイタル。その後英国、フランス各地を始め、スペイン、ベルギー、スイス、イタリア、ポーランド、韓国、香港で演奏を行なっている。1981年よりハンガリーで故アニー・フィッシャー女史の薫陶を受け、1985年第11回ショパン協会賞受賞。 室内楽にも積極的に取り組み、ローランド・フェニヴェシュ(スイス・ロマンド管弦楽団コンサートマスター)ツヴィ・ハレル(イスラエル・フィル首席チェロ)フリッツ・ドレシャル(ウィーン・フィル首席チェロ)各氏等とデュオ・リサイタル。 1990年“スペイン夏の音楽祭”に招かれ、ウィーン弦楽四重奏団と共演。1992年にはフランス各地にてソロ・リサイタル及びヴィア・ノヴァ弦楽四重奏団と共演。1993年にはパリ国立高等音楽院の卒業試験の審査員を務め、1994年フランス“ヴァンヌ夏の音楽祭”の国際アカデミーマスタークラスの教授として招聘される。1996年今井信子氏(ヴィオラ)とのデュオ・リサイタルをフランスで、ソロ・リサイタルをスペインで行ない、1997年もポルトガルの“フィゲイラ夏の音楽祭”でシューベルト生誕200年、ブラームス没後100年記念コンサートに招かれ、連続5回の演奏会に出演。 桐朋学園大学及びマスタークラス等で後進の指導を行なう一方、内外においてその活躍は多岐に渡っている。 |